2024米国獣医病理学会(ACVP)参加記

旧聞となり恐縮ですが、2024年11月半ばに米国ワシントン州シアトルで行われたACVP年次大会に参加しました。診断および教育業務を数日間休ませていただき、関係の皆様にはご迷惑をおかけしました。今治~シアトル片道3路線の飛行機の乗り継ぎは順調で、いつも苦労する現地空港~目的地への移動もシアトルのLink light railという電車一本で格安に済み、久々に円滑な旅でした。太平洋岸に沿って夜間飛ぶ飛行機から、月光のもと、雪に覆われた山脈や、アメリカ特有の黄色い光源が瞬く街並みが見え、幻想的でした。太平洋に面するシアトルは、ふだん瀬戸内海を見慣れている私にとってはホッとする場所でした。シアトル滞在中はほぼ曇りか雨で、風が冷たく、観光はせずホテルと学会場を往復しました。本参加記では、前回のECVP参加記スペイン編で前振りをした「獣医法医科学」を深堀りします。多くの人に読んでいただければ幸いです。無脊椎動物の病理学に関しては、今回はロブスター、サンゴ、タコとオウムガイ、ミツバチについて、経験豊富な4名の講師が話してくれましたが、冗長になること必至のため、敢えて割愛させていただきますが、どんな生物でもよい組織標本を作ることと、正常像に精通することの大切をあらためて実感しました。

獣医法医科学ワークショップ

ワークショップとは、講師の講義と参加者が行うグループワークによって主題の理解を深める催しのこと(大体あってる?)で、今回は午前のみで参加費が200米ドル(3万円以上)でしたので「高いなあ」と思っていましたが、終わってみると十分にその価値があると思い直しました。ECVPの獣医法医科学ワークショップと同程度の40名くらいの参加者が7、8名のグループに分かれ、「初めまして」の挨拶を経て講義を聴いたり課題に取り組んだりしました。以下に、耳寄りと思われる事柄や感想を書いてみます。

ワークショップ会場。証拠物品の保管・パッキングを学ぶテーブル

獣医法医科学veterinary forensic scienceは、動物虐待の裁判が実際に行われ、獣医病理医が法廷に召喚されることがある欧米において(欧州では国によって異なる)、毎年着実に前に進んでいる学問分野です。法律の詳細は法曹家(裁判官、検察官、被告人弁護人等)に任せ、臨床獣医師や獣医病理専門医が動物の受傷や死のメカニズムをどう記録、評価、報告すべきかが、毎年学会で紹介・議論されます。日本の獣医病理学会では獣医法医科学の扱いは非常に小さく、動物をめぐる法整備の遅れにつながっている印象を私は持っています。

今回のワークショップは獣医法医解剖の標準的手順、すなわち、誰でもこれに従えば動物の法医解剖が遂行できるというマニュアルの紹介から始まりました。英語ですが、下記URLよりご覧いただけます。

https://www.aafs.org/sites/default/files/media/documents/170_Std_e1.pdf

この中で使われている助動詞shallとshouldの違いは、shallは強制的に絶対すべきこと、shouldはできればしたほうがよいこと、というニュアンスだそうです。解剖が技術的に上手いかどうかはさほど重要でなく、法廷が求める情報を出すことができるかが法医解剖のゴールになります。

法医解剖においては記録documentationが非常に重要であり、獣医病理医は独立した捜査官investigatorとして、動物の死を取り巻く状況を総括reviewし、死後検査を統率controlすることが求められる、とのことでした。病理解剖だけすれば済む、ということでは全くなく、病理診断医が法医学的症例を扱う際には、全体の枠組みをよく理解しつつ書類仕事やコミュニケーションを地道にこなし、法廷でのストレスにも晒されるのだなと痛感しました。こんなに大変な仕事なのに、動物の法医解剖の金銭的報酬は欧米においても最低限度のようで、結局は志の高い、苦労を厭わないボランティア病理医(多くは大学の先生)がこれを担わざるをえなくなるのかなと感じました。私は常々、金銭的報酬はモチベーションのみならず健全な業務の継続に非常に大切であると考えており、個人の献身に頼るのではなく、専門家の専門的業務を経済的に支えるシステムづくりを急ぐべきと感じました。

証拠の紛失や改竄を予防するには証拠保全chain of custody; COCが非常に重要になります。現場で収集された数々の証拠を、誰が受け取って今どこに保管されているかを逐一記録に残しておく必要があります。証拠物に紙のタグをつけて情報をペンで記入したり、電子データベースを用いたりして、二重に管理するとのことでした。また、証拠物の性状に応じた保管方法evidence packagingを知っておく必要があり、例えば弾丸は紙の封筒など通気性のよいものに入れるべきだが、湿組織は防水パックに入れて凍結する等、です。袋や蓋にはevidence tapeと呼ばれる、剥離の際に容易に裂ける、赤くて粘着力の強いテープを貼って、証拠物に不適切な取り扱いがあったかどうかわかるようにしておくそうです。さらに、解剖の最中に何かの破片等、「新たな証拠物」が見つかることがありますが、その場合はその時点からCOCを開始します。病理診断医がCOCの起点になることも十分あり得ますので、COCの維持の方法を知っておくことはとても重要です。

解剖の最中に撮影する写真の撮り方や、データの保管・取扱いについても細かい注意事項が多数あり、とくに「撮影した写真は一枚たりとも削除や名前変更をしないこと」が、のちの法廷での審理に重要になるそうです。剖検写真に血液が写りこんでいると、それに慣れていない人の感情を搔き乱すemotionally inflammatory(参加者の多くが初めて聞くと言っていた英語表現)ため、解剖台等の血液はよく拭いてから撮影すべしなどという実際的なアドバイスもありました。また、俯瞰写真から徐々にズームインしていくとよいとか、真上から撮影するが痩せた動物は肋骨が浮き出ているのを強調するため敢えて斜めの構図も入れるとか、定規を動物の頭側や背側に置くといった情報も、初学者にはためになると思いました。私が疑問に思うのは、全ての剖検写真に、症例番号や日付等が入ったラベルを写し込むべきだと、ECVPでもACVPでも教えていることです。デジタル写真データには撮影日や条件等が電子情報として付随するので、写真そのものにわざわざ目障りな情報を写し込む必要はないと思うのですが、テクノロジーが進んだ現在ではデジタルデータでさえ改竄される恐れがある、ということでしょうか。個人的には、紹介されている手法の中で、時代にあわせて改善した方がいいのになと思う事柄もいくつかありました。

次に、遺体のレントゲン検査ですが、体重70kgを超える動物ではshouldですが、それ以下ではshallの扱いになるとのことで、骨折や異物・金属を解剖前に評価しておくことが求められています。これは日本で病理解剖をしていて私がよく感じることでもあり、動物の遺体のレントゲン検査、CT検査、超音波検査(いわゆる画像検査)が一般的になれば、剖検をより効果的に行える、あるいは剖検を割愛できる場合もでてくると思います。ワークショップの参加者の中には、宝探しごっこで使う金属探知機をインターネット経由で安く購入し、遺体にかざして簡易的な金属(銃弾)探知を行っているとのことでした。まさにDIY!

法医解剖における組織検査(顕微鏡による組織・細胞の観察)はケースバイケースで行うもので、常に検査したほうがよいと思われる臓器は脳、心臓、肺、肝臓、腎臓だそうです。遺体が骨だけになっているとか、腐敗が激しいといった場合は、組織検査は割愛してもよいだろうとのことでした。

法医剖検のコツについても説明がありましたので、抜粋します。

・死斑、死冷、死後硬直等の死後変化をチェック

・マイクロチップ探知機で個体識別番号を探る

・異常だけではなく、正常であったことも記録する(例:The following tissues are grossly within normal limits.)と、後日振り返ったとき役立つ

・遺体を完全に剥皮する:外傷のチェックに不可欠

・外傷の記録:サイズ、形状、パターン、創傷の専門用語に精通しておく、位置を表すために解剖学的ランドマーク2か所からの距離を測定

・外傷が多数存在する場合:文章では大変なので、模式図を用いて全て記録するとよい

報告書には、画像検査所見、剖検外景所見、創傷の証拠、剖検内景所見、死因(間接死因、直接死因)等を書きますが、あくまでも所見findingsを記載し、その解釈や意見interpretation and opinionを述べるのが目的で、結論conclusionという文言を報告書において使うべきではない、とのことでした。結論を出すのは法曹家の仕事で、病理医はあくまでも参考意見を提供するというスタンスです。これは法医解剖が、病理解剖など他の解剖と大きく異なる点だと思います。ちなみに医学と獣医学では死因の集計方法が異なっており、死因の種類manner of deathに含まれるのは人ではaccidental、natural、suicide、homicide、undeterminedですが、動物ではaccidental、natural、non-accidental、undeterminedとなっています。動物虐待による死は、non-accidentalということになります。

報告書は専門知識がない読者にもわかるよう、平易な文体を心がけ、画像を適切に挿入するのがよいとのことでした。さらに、報告書は敵(検察側⇔被告側)も読むものなので、反論のきっかけになるような不用意な記載をしないよう注意すべきとのアドバイスもありました。

最後に、グループごとに実際の事例に基づく課題に挑戦し、それを全体に向けてプレゼンし討論し、ワークショップが終りました。非常に実際的な情報が多く、とてもためになるワークショップでした。つくづく、欧米では基調講演にプラスして、現場で活発に意見を出し合いながら結論をより良く深いものにしていくアプローチをするなと思いました。日本では、周到な根回しと最小限の討論を良しとする傾向が今でもありますが、これでは結論に幅がなくなってしまいます。質疑応答の時間を有効に使っていこうと、あらためて思いました。

学会では多くの講演やポスター発表に触れ、また、多くの友人に再会し、短い滞在が名残惜しかったです。自分も、ライフワークとしているコスメティック剖検についてポスター発表(下の写真)を行い、何人かの参加者から質問を受けました。これは、欧米では一般的な手技ではありません(日本でもそうです)。死後検査の後で遺体がきれいになって戻ってくることがあらかじめわかっていれば、飼い主さんの心の負担が大きく減り、死因追及のため、他の動物たちのために死後検査をやってみようという人が増えるのでは?という試みです。

学会参加報告は以上です。次回もぜひお楽しみに!ご質問やご意見があればお寄せください。

ノーバウンダリーズ動物病理 三井一鬼

ベイフロント
ダウンタウン
ホテルに電子レンジも栓抜きもなく、湯せんとベルトのバックルで対処しました。プルコギ弁当は美味でした。