2023欧州獣医病理学会参加記

昨年初めて渡欧し参加した欧州獣医病理学会(European College of Veterinary Pathologists、略してECVP学会)。獣医病理学という学問は万国共通ながら、言語・文化・思想等々が大なり小なり異なる人・地域が構成するこの学会は、驚きと刺激に満ちたものでした。今年のECVP学会は大西洋に面するポルトガルの首都リスボンで8月31日~9月2日の3日間行われ、再び参加してまいりましたので、ここにご報告いたします。留守の間ご迷惑をおかけした皆様には、貴重な時間を過ごさせていただいたことに、厚く御礼申し上げます。

関西国際空港(関空)から経由地ドバイまで10時間、ドバイからリスボンまで8時間と、私の人生で一番長いフライトでしたが(もちろんエコノミークラス)、住んでいる今治から関空までの自家用車での片道4時間半の高速道路移動の方がしんどかったです。なぜって、車がジムニーだから。ただ、エミレーツ航空の機内食の頻度と量も、だいぶつらかったです。機内食を断る機転と勇気も必要だと初めて学びました。リスボンは、酷暑の日本に比べるとだいぶ過ごしやすく、日が暮れると長袖シャツがちょうどよかったです。空港からホテルまで、ズボラな私の調査不足で、15kmもない距離のタクシーにチップ込み30ユーロ(5,000円近く)と大盤振る舞いしてしまいました(帰路にホテルから空港まで公共交通を使ったら実質300円くらいで行けました)。ともあれ、どこの国でもタクシーの運転手は私にとって現地で一番初めにまともにしゃべる人なので、雑談をして現地の情報をいろいろ教えてもらいます。今回は、運転手が若いお兄さんだったせいかサッカー談議で盛り上がり、リスボンのプロサッカーチーム所属の守田選手をはじめ、ポルトガルリーグでプレーした/している日本人選手への激賞!をいただきました。ブラジル等アメリカ大陸諸国から若く有能な選手が多くやってくるらしいのですが、皆才能があるゆえに天狗になってポルトガルを甘く見る傾向があるらしく(たしかに、プレミアやブンデスには及ばないかもしれないけれど)、その中で献身的にプレーする日本人選手たちはポルトガル人の心を打つそうです。世界のどこでも、溶け込もうと努める人には相応の評価が与えられるということですね。運ちゃんには、ポルトガルリーグのサッカーの試合のチケットを買う方法(Z世代であれば人に訊くまでもない情報)を教わり、どことなく昨年訪れたアテネのような色彩の樹木が茂る丘陵地帯を抜け、大西洋に注ぐテージョ川右岸のベレンという街のホテルに無事チェックインしました。

色彩が気持ちを落ち着かせてくれる
でこぼこでも石畳!
カフェと言って出てくるのは超濃厚なエスプレッソ。甘いエッグタルトと交互に!

今回の学会はヨーロッパの形態病理医(anatomic pathologist)と臨床病理医(clinical pathologist)の学会の共同開催でした。私の解釈で多少の語弊はあるかもしれませんが、「形態」病理医は動物の解剖をしたり、ホルマリン固定された臓器・組織を検査したりして、形態学的手法で死因追及や疾病診断を行う専門家です。「臨床」病理医は臨床医と緊密に連携する存在で、ホルマリン以外の迅速固定を経た組織・細胞の検査や、血液などの体液の分析・検査、さらに様々な検査の精度管理を行う専門家です。日本以外の国では、この線引きがはっきりしていて、専門家になる筋道も学会も独立しています(たまに、両方を極めている優秀な方もいらっしゃいます)。欧州臨床病理学会は、かつて東京で開かれたことがあり、私もたまたま参加しましたが、今思えば、日本の何かの学会を遠い第三国で開くという発想はなかなかないため、欧州の人たちの柔軟性というか好奇心というかには驚かされます。今年はリスボンにて形態・臨床の獣医病理医の学会が共同開催されたわけですが、来年、前者はスペインのマドリードの郊外(San Lorenzo De El Escorial)にて、後者はハンガリーのブダペストで、分かれて開催されるとのことです。これを読んで興味を持たれた方は、ぜひ参加してみては!ということで、今回は参加者の数が2学会分でしたが、それでも規模が大きいとは言えず(日本の獣医病理学会の参加人数の方が確実に多い)、大きなホールも前の方の十数列だけで事足りていましたし、ポスターは3日間で何度も同じものを繰り返し読むことになりました。ただ、この学会に都合で参加できない人も多くいるでしょうから、単純に比較はできません。そして、参加人数が少ないから学会が物足りないかというと、そんなことは全くありませんでした!これが昨年アテネでも痛感した、ECVP学会の醍醐味です。

学会会場前も石畳

今年のECVP学会には、日本から私以外に3名が参加されていました。昨年、日本人参加者は2名だったので、今年は倍ということになります。昨年のアテネの学会で衝撃に感じた「拍手が大きい」、「質問の嵐」には、今年は特に驚きませんでした。案外、すぐに慣れるものです。女性の参加者の多さが今年はさらに目立って7割近いように見え、座長や質問者もその比率を反映しているようでした。男女に能力の差はないが、女性が能力をストレートに出しやすい社会の仕組みが欧州にはあるのではないか、日本はその点をよく研究して真似るのが近道だろうと感じました(もうしているのであればすみません)。学会でカバーされていた学術分野は概ね昨年と同じで(獣医腫瘍学、獣医法医科学、実験病理学、産業動物病理学、感染症病理学、野生動物病理学等)、今年はさらに、ポルトガルの研究者による魚類の病理学や寄生虫病学のポスターが複数ありました。ポルトガルは日本と同じく魚をよく獲り、食べる国なので、さもありなんという気がしました。学会の運営はオランダの企業が行っていて、学会の抄録集(参加者の研究発表の概要をまとめたPDF書類)は昨年のアテネでは開催2日前(!)に送られてきましたが(その時はギリシャの企業が担当)、今年は開催1週間前と、だいぶ改善していました(日本だと1か月前くらいですが)。一点、私が悔しかったのは、学会のホームページで研究発表の登録をしたにもかかわらず、謎の「システムエラー」によってそれがないことにされていたことです。オランダ企業は、自分たちに責任はないとの立場で、結局交渉によって研究ポスターの掲示はOKということになりましたが、私にとっては記録が残らない学会発表となってしまいました。来年以降はこまめに事務局にリマインダーを送って、どうなってる?うまくいってる?と問いかけようと思います。皆様もお気を付けください。

ポスター発表の様子

規模の大きな学会ですと同じ時間帯に多数の講演・研究発表が並行して進行し、聴きたいものをあきらめざるを得ず消化不良感を覚えます。しかしECVP学会は小規模なのでそういうストレスがほぼなく(野生動物病理など、苦渋の選択であきらめたものもありましたが)、心行くまで味わうことができました。その中で興味深かったものをいくつか記します。

・Sand fly borne-diseases in Europe – epidemiological overview and potential triggers for

their emergence and re-emergence(Dr. Carla Maia)

ポルトガル人の研究者の講演で、蚊よりも小型で雌が吸血するサシチョウバエ(sand fly)の生息域が気候変動によって広まっており、この昆虫が媒介するリーシュマニア症、バルトネラ感染症、その他のウイルス感染症も徐々に新しい地域を侵しつつある、という内容でした。リーシュマニア症に関しては、より高緯度の地域や、新たな宿主(野ウサギ)も侵されている証拠があるそうです。今夏異常な高温に見舞われた日本でも、今後、従来は考えられなかった地域や動物種で感染症が起こる可能性がありますので、これを教訓にして、柔軟に対応せねばと思いました。

・Exploring the Potential of Natural Language Processing in Veterinary Pathology: Applications and Insights from ChatGPT(Dr. Lev Stimmer)

よく耳にするようになったChat GPTもその一つである「自然言語処理 (NLP)」 は我々の暮らしを大きく変えつつあるが、獣医病理分野も例外ではなく、病理診断医はテクノロジーの恩恵を受けて重要な仕事に集中できるようになるだろう。そんな時代においては批判的思考critical thinkingと事実の検証fact checkingが重要になる、という内容でした。この講演を聞きながら私が思ったのは、勤務先の獣医大学で受け持っている専門英語という授業のことです。この授業では、今年度から学生が機械翻訳を使うことを認めているのですが、機械が出した和訳をそのまま貼り付けて内容を吟味できていない学生が大半を占めています。NLPという新しいテクノロジーの目的のひとつは、機械に仕事を肩代わりしてもらうことで人間の時間を節約することですから、機械が行った仕事を人がさらに時間を費やして「検証」することは本末転倒、無意味だと、大半の学生は考えたのでしょう。このギャップ(一瞬で仕事をする機械翻訳 Vs. 時間を要する批評と検証)を埋めるために、教育者に何ができ、何をすべきなのか、あるいはさらなるテクノロジーの進化がこれを解決するのか等、NLP関連のトピックは当分の間、正解を探して彷徨うことになるでしょう。講演のなかで、アメリカと中国はNLPの改良を続けるだろうが、欧州はある時点で止めるだろう、と講演者が述べ、聴衆が同意の雰囲気を出しつつ笑っていたのが印象的でした。欧州の人々は人間臭さというか回顧主義というか、人間は本来こうあるべきという一定のラインを保つ思考回路を持っているようです。その考え方が、ECVPの多くの講演やポスター発表の根底に流れているように思えますので、日本の獣医病理医、獣医師の皆様も、欧州発の研究や報告に接する際に気を付けてみると面白いかもしれません。

・Workshop: Digital Gross Photography in Anatomic Pathology(Dr. Luján Lluis)

 このワークショップでは、獣医病理診断医としての経験が豊富なスペイン人の先生が、どうやったらexcellentな(goodではダメ)肉眼写真を撮影することができるかを事細かに解説してくれました(有料のワークショップでしたが、しっかり元が取れました!)。解剖の現場でできる工夫と、撮影した写真をソフト(フォトショップ)で編集する過程でできる工夫があり、その一つに、写真撮影の時の動物や病変の背景は「黒」を使うと色の反射を抑えられ(青や緑の背景を用いると、その色が臓器にも映っているのに驚きました)、ソフトで処理する際も臓器の輪郭が明白になる、というものがありました。次に行う剖検から応用できるネタが多く、非常にためになりました。翻って日本では、動物の剖検という大切な技術体系の訓練やその能力の判定に関して、確固たる枠組みや資格制度がありません。そろそろ始めないと、日本では絶滅する分野なのではと個人的に危惧しております。

ワークショップ開始直前。狭い部屋が満員!

・The Virtual Post Mortem Room: Immersive Gross Pathology Experience in the Metaverse(Dr. L. Ressel)

 欧・米の獣医病理学会の特徴のひとつは、疾患に関するオーソドックスな発表に加えて、教育手法や診断実務に関する(周辺的な)研究発表が少数ながらも含まれていることです。教育や診断業務を客観的に見つめなおし、手法を改善することで、獣医(病理)コミュニティ全体の健全な発展に寄与するというポリシーがあるように思われます。この講演では、メタバースの世界に、全方向から臓器を見ることができる3D臓器写真という「教材」を設置し、学生の興味や関心を高めるというアプローチを紹介していました。おそらく技術的には日本でも十分可能と思われますが、外国では新しい技術を、スピード感をもって現場に実装する姿勢と、それを良しとする独特の遊び心のようなものがあるようにも感じられます。実は日本の若い世代の方々も、この素地を持っている気がします。演者の話術の上手さもあり、刺激とエネルギーとインスピレーションをもらった講演でした。

他にも多くの口頭発表・ポスター発表に接しました。中には、質疑応答が白熱するものもありました。例えば、フランス人の発表者が犬の悪性黒色腫の新しい組織学的悪性度分類を提唱する発表したところ、質問や意見が引きも切らず、会場が多少異様な雰囲気になりました。ECVP学会の締めくくりはミステリースライドセッションで、事前に「お題」のバーチャルスライドを見て診断を付けた参加者が、出題者のプレゼンテーションを受けて活発に意見をぶつけ合いました。アメリカの獣医病理学会ではミステリースライドセッションは夜に、アルコールが入った状態で、ある種のエンターテインメントとして行われていますが、ECVPでは(今年だけ?)真面目に行われていました。今年の学会における私の心残りは、先述のようにシステムエラーによって学術発表の機会を逸したこと、他者の講演に対して質問ができなかったこと、ウェルカムレセプションの日付を勘違いしていて無料の酒を飲み損ねたこと、懇親会をスキップしてネットワーキングの機会を逸したこと(時差ボケでどうしても眠く…)です。来年、もしスペインでのECVP学会に参加する機会があれば、これら全てをリベンジしたいと思います。ちなみに今年は、飛行機に乗り遅れるミスは犯しませんでした(笑)。

最後に、学会以外のリスボンの話題で締めくくりたいと思います。宿泊したホテルから徒歩圏内にベレンの塔や世界遺産のジェロニモス修道院といった歴史のある建物があり、また、テージョ川のほとりは長~いジョギング・サイクリングコースになっていて、朝夕の涼しい時間の散歩は快適でした。川にぶっこみ釣りの仕掛けを投げ込んでアタリを待つ釣り人が、日曜の朝にはチラホラいました。釣り具が日本製だったらよかったのに…。頑張れダイワ、シマノ!ポルトガルでは車は右側通行、自動車は日本車の割合が小さくドイツ車、フランス車が目立ちました。アテネでは日本車が結構多く、バイクも各国製が非常に多く走っていましたが、リスボンは坂が多く、歩道はおろか車道も石畳(濡れたら相当滑りそう)のところが多いため、バイクには適さないのかもしれません。ちなみに石畳といっても粒が小さめの石を使っていて、複雑な起伏を細かな石が滑らかに覆っている様子には感心しました。また、足の裏がマッサージされるようで歩いていて心地よかったです。市内にはバスや路面電車(トラム)が縦横無尽に走っていて、googleマップの道案内表示(今年は昨年迷子になった教訓から海外で使えるwi-fi機器を持参!)を使って行きたいところにスイスイいけました。日本人がプロデュースした立派な水槽があるリスボン海洋水族館や、ポルトガルが世界を股にかけていたころの日本、中国、インドなどの蒐集品が圧倒的な規模で並ぶ東洋博物館は、お奨めスポットです。種子島の鉄砲伝来はポルトガル人からですので、あちらの国も昔から日本をかなり意識していたことがよくわかりました。お土産を買いにContinenteという地元の普通のスーパーマーケットにバスで行き、魚の缶詰(イワシ、ツナ等)、コーヒー(豆は売っておらず粉や全自動用の液体ばかり)、ワイン(小さな紙パックが便利)、安くて大きなチョコレートなどを買い、お得でした。外国に行くと、観光地ではない、普通の人の普通の暮らしを見るのが好きなので、バス網が発達しているのはよかったです。

ベレンの街並み。昼間は観光客でごった返します
大西洋に連なるテージョ河口
バスの車窓からたまたま見えた、リスボン大学獣医学部
日本人が西洋犬を描くとこうなります

最後の最後に書くのは、学会の次にメインイベントとなった、地元サッカーチームベンフィカ(Benfica)の試合の観戦記です。学会がはねた翌日、Football ticket netというサイトの親切なチャットサービスに助けられてその日の夜の試合のチケットを入手しました。日本円で1万6千円くらいになりましたが、ちょっと遠い観光地に行くよりは安いと思い購入。例の市内バスでベンフィカのホームスタジアムである「光のスタジアム」へ。時間つぶしに訪れたスタジアム近くのショッピングモールは、ユニフォームを着たサポーター達でごった返していました。美味いポルトガルビールと鶏肉バーガーで腹ごしらえして、スマートフォンのQRコードチケットをかざしてスタジアムに入りました(今の世の中、どこでもこれね)。席はかなり良い場所で、コーナーキックが真ん前で見られるところでした。1時間前に入場したら空きが多かったスタジアムは、見る見るうちに満員になり(この日の入場者60,400人!)、DJがサポーターの熱狂をあおって終始お祭り騒ぎでした。サッカーの試合を生で見るのは、何年か前のFC今治の試合以来ですが、さすがに規模が段違いでした。Benficaにはポルトガル代表チームの選手や、昨年のW杯で優勝したアルゼンチンのディ・マリア選手、ついこの前日本と試合をしたトルコ代表のコクチュ選手らがおり、プレーに見ごたえがありました。得点時の歓声はスタジアムを揺らすほど大きく、ブーイングはブーブーというのではなく指笛で表現していました。試合はベンフィカが4-0でギマランイスを破り、私はにわかベンフィカファンとして大声を出し、拳を振るってまいりました。ボールがゴールに吸い込まれていく様や、キーパーのゴールキックが逆回転で前線のプレーヤーにすっと収まる様子など、まだ残像が残っています。リスボンのバスや地下鉄やカフェで見たポルトガルの人々は、日本の都会人のような静かな人たちでしたが、サッカー場では別の一面を見せることがわかってなんとなくホッとしました。

熱狂のスタジアム

以上です。お読みいただき、ありがとうございました。今後も出張のあとはこういったレポートを懲りずに書く予定ですので、お楽しみに。

さらばリスボン

三井一鬼