法医病理学会 参加記 2026年9月

2026年9月4、5日の2日間、栃木県下野(しもつけ)市の自治医科大学で開催された第9回日本法医病理学会学術全国集会に参加しましたので、いつもながら誰からも頼まれもしないのに報告します。

唐突ですが、法医学とは、いったい何でしょうか?

法医学とは医学的解明助言を必要とする法律上の案件、事項について、科学的で公正な医学的判断を下すことによって、個人の基本的人権の擁護、社会の安全、福祉の維持に寄与することを目的とする医学である。(1982年 日本法医学会教育委員会報告)

http://www.jslm.jp/about/definition.html

という公式な定義があります。これに従うと、獣医学はそもそも医学ではないため、法医学には組み込まれません。しかし、欧米では40年以上前から、日本でもここ10年ほど、法獣医学、獣医法医科学、獣医法医学といった呼ばれ方で、動物が関わる法律(国際法も含める場合があります)上の諸問題を取り扱う学問・研究領域として理解が進み、欧米では特に文化的背景(動物の権利を擁護する)と相まって急速に発展中で、日本でも昨今は獣医大学のカリキュラムに取り入れられるようになってきました。

本家の法医学に話を戻しますと、これは多様な学問を内包する学際領域であり、医学(細分類多数)、社会学、化学、分子生物学、微生物学、昆虫学、数学、歯学、その他、多くの分野の専門家が、法と、死・疾病に関する様々な問題に取り組み、問題を深掘りし、そのメカニズムや解決策を見つけようと努力しているものです。法医学の学会において、残念ながら、獣医学というキーワードはまだまだ認知度が低いと感じていますが(個人的な感想)、人と動物はかくも密接にかかわって生きていますので、今後交流が広がっていくのではないでしょうか。

前置きが長くなりましたが、日本法医病理学会は、法医学の中で特に法医解剖による死因究明に主軸を置いた学会で、その第1回の集会に私は2018年に香川県で参加しました。獣医病理学を生業とする私は、解剖や顕微鏡の写真が多く出てくるので大いに馴染みを感じたものです。今回、久しぶりに本学会に参加しまして、相変わらず参加人数が50名程度と少ないことに何故かホッとしました。私は世の中の逆を行くのが好きな性分なので、これくらいの規模に安堵するのです。さておき。

プログラム自体は公になっているのでこちらをご覧ください。

https://jsfp2026.jp/program.html

プログラムからお分かりのように、病理解剖と何ら違わない死因究明のアプローチもあれば、新しい手法(例:次世代シークエンス、空間トランスクリプトーム)で病変や死因を解釈しようと試みたものまで、多様な演題がありました。

今回、私のアンテナに引っかかったワードや事柄をいくつかご紹介したいと思います。

刺激証拠: 昨年度の当学会の活動報告の中に出てきたワード。ネットで検索すると、「刺激証拠とは、裁判員裁判において、被害者の遺体や傷口の写真、血痕の付着した凶器など、一般市民である裁判員に強い精神的負担や衝撃を与えるおそれがある証拠の総称です」と出てきました。昨今、刺激証拠を簡素化・排除することが増えて裁判において問題になっているそうです。話は違うかもしれませんが、弊社で病理解剖した動物をコスメティック処置することが依頼主にとても喜ばれるのも、傷害や病気や死に対する人間の潜在的な嫌悪・忌避を示しているものと思います。感情にマイナスに働くことを、誰しも避けたいものです。一方、あまりオブラートに包み過ぎると、伝えるべきことが伝わらなくなってしまうかもしれません。そんなことを考えさせるワードでした。

家系図学: DNA鑑定に関するシンポジウムで、ひとりのシンポジストが紹介されていたトピックでした。日本では自分のルーツを振り返るファミリーヒストリーというTV番組が人気なようですが、欧米ではその比ではないほど自分のルーツ探しに対する情熱があるようで、近年はDNA解析によってそれを行う民間の有料サービスがいくつもあるとのことです。この手法を応用した「三従兄(みいとこ)」検定によって、40年近く難航していたゴールデンステートキラーと呼ばれた凶悪犯の逮捕がアメリカで成され、DNA解析(鑑定)の持つ潜在的な力と危うさが認知されることになったんだとか。FIGG (Forensic Investigative Genetic Genealogy)という言葉も紹介されていたので、あわせて覚えておきたいものです。ネット情報で恐縮ですが、FIGG(法医学的捜査遺伝学的家系学)は、犯罪現場のDNA型と公開遺伝子データベースの家系情報を組み合わせて捜査の手掛かりを得る手法です、とあり、裏を返せば、私たちの遺伝情報が警察や国家によって知らぬ間に捜査に利用されてしまうリスクがあります。日本ではだれもこのリスクを認識すらしていませんが、外国では国家や市民のレベルで議論になっているようです。

DNA鑑定: 日本では犯罪捜査で年間約25万件のDNA鑑定が行われているそうです。その他、災害時の身元確認にも使われていて、市販のキットで複数の染色体の特定の部位の塩基配列(STRと呼ばれる遺伝子の長さの多型を調べる方法と、SNPという点の多型を調べる方法があり、キットではSTRを調べている)を調べ、個人の識別をするそうです。DNAのメチル化の検査による年齢の推定や、SNPによる瞳、髪、肌の色の推定の研究も海外では大いに進んでいるようで、中には、検査サンプルを提供すれば「サンプルの主はこんな顔をしていると思われます」というような顔の形態画像を作成するサービスが外国にはあるとか。科学と商業が結び付き、それが新たな捜査手法を生み出す可能性もあるし、問題を起こす可能性もある。何とも厄介な世の中を我々は生き始めているようです。

災害とは?: 東日本大震災のとき南三陸町の病院で勤務しておられ、津波の甚大な被害を直接受けられた医師の先生の講演の冒頭で、災害の定義をお話しされていました。災害とは適応能力を超える苦難に遭遇すること、とのことです。自然が起こす現象のみならず、そのあとに起こる様々な困難も含めての災害であり、援助を適切に受ける「受援」の重要性や、燃え尽きを防ぐための助け合いなど、実に広く深いお話で、圧倒されました。世界のどこにいても、我々は災害に遭遇する可能性がありますので、月並みな言葉ですが、常に用心しておく必要がありそうです。

autopsy negative突然死: 死因を調べるために解剖をしても有意な所見が見つからないことがあります。それをこう称することがあるようです。ただ、時代が進んで新しい検査手法が生まれ、過去に取っておいたサンプルを調べたら死因が判明する、あるいは推定できるようになる、っていうこともあるようで、遺伝子検査(病気を示唆する遺伝子や変異が見つかる)がその好例とのこと。ただし、判明した結果をむやみに遺族に話すこともしないようで、結果の取り扱いに慎重さが求められるとのことでした。

以上です。東京~栃木だからと思って日帰りを2回繰り返したらかなり疲労しましたが、病理の肉眼検査、組織検査のレベルアップになり、知り合いの法医と言葉を交わすこともできて、とても有意義でした。これからも、こういった記事を不定期に掲載しますのでお楽しみに。感想、ご意見もお待ちしております。

ノーバウンダリーズ動物病理

三井一鬼